2020-05-11

計去亡慟 No.4~No.6

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No. 4

塩と豆の葉と香料を練って作ったペーストを口の中に放り込み、舌で歯のまわりにならしてから歯木を突っ込んでこする。

もしゃもしゃもしゃもしゃ。

まぶたが重い。昨日は全く眠れなかった。
頬根の張りが悪いのは、血のめぐりが乱れているせいだろう。
精神の負荷は肉体にも強く影響するという学説は真実らしい。
そんな鈍った私の頭でも、あのときのことだけは明瞭で、そう、気を抜けば最後、すぐさま思い浮かんできて気持ちが沈んでしまうのだった。

「俺は人づきあいで好き嫌いはあんま言わんようにしてるが、人間なんで当然、どうしてもダメな奴らはいる。
 それが、今回のお前さんだ。
 別の樹符を持ってることを隠して、ドウ・ラを危険な目に遭わせたな?」

ラグは私を睨みつけながら言った。
普段ゆったりとした皮肉屋の構えを崩すことのない彼が、このような怒気を表し、早口でまくし立てるように話すのは、彼と付き合いだしてから初めてのことだった。
私は喉と鎖骨のあたりに妙な圧迫感を感じ始めていた。
他人の侮蔑とか敵意には慣れているつもりだったが、意図しない形で相手に嫌われるのがこんなにも怖いものだったとは。

「お前さんの都合は理解できる。だが、こっちは命が掛かってる。
 そっちの都合で見殺しにされるのを許容してやれるほど人間ができてない。
 ユンのようにはな。」

創世六神が一柱、「受け入れる者ユン」を引き合いに出されては立つ瀬がない。今回の件を水に流すには神々級の懐の広さが要求されると言っているわけで、相当腹に据えかねているに違いない。

「ちょっと、ラグ、なにもそこまで……」
「ダメだ。」

助け舟を出そうとしたドウ・ラも、彼の剣幕にたじろがざるをえなかった。

「“できない”のと、“できるのにしない”のには決定的な違いがある。
 今回だけじゃなく、過去の仕事4件、お前さんの協力があれば、もっと事は安全で済んだんだ。
 俺たちもお前さんも。」

マスクのゴーグルの曇りがひどく、視界が悪い。
増していく怒気と声色の荒々しさに焦ったドウ・ラが間に入った。

「でも、私は大丈夫だし、気にしてない。
 それに、あなたもマルファナティのことが嫌いってわけじゃないでしょ。」

哀願するように足の間に収まったドウ・ラの尾を見て、ラグは忌々しそうに首を軽く左右に振ると、舌打ちをして私から目線をそらし、続けた。

「……まあな。これはマル、お前さんの人間性の話じゃなくて、立場の話ってやつだよ。
 今回ではっきりしちまったが、お前さんは猫かぶりどころか、後ろ手にナイフを持ってたってことは理解できてるか?」

彼の言葉で大祭幹殿との会話の記憶が甦り、私の耳枝の付け根が熱くなっていた。
同時に、壊れたマスクのろ過装置を通して、苦い空気が私の肺を満たしていく。
背中を汗がひとすじ伝っていった。

「お前さんがそんなことするとは思ってないが、必要なくなった後に俺たちを消せという命令が上から落ちてきて、お前さんはそれをしなきゃならん可能性があるわけだ。
 しかも、実際にそれができる。」

そこで言葉を切って、鼻でふうと息を吐くラグ。
胃の中がぐるぐるして酷く気持ちが悪い。
私は口をあけたが、結局何も言えずに唇だけを不格好に動かしてまた閉じるしかなかった。
返す言葉もなかった。

――そこから先は正直よく覚えていない。
最後にラグから例の商人の遺品を渡され、市長の所に持っていくように言われたのは一応忘れないようにした。
他はと言えば、伏せられた切れ長の眼。垂れた尻尾。包帯の巻かれた脚。目の下の濃い影。逆立つ白い髪。赤くうっ血した大きな手のひら。
足音。
去っていく足音。

覚えているの、いや、頭が認識できていることはそれくらい。

それから、あの怒りと哀しみの混じった声。

「お前とはやっていけない。」

本当にそれくらいだった。
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No. 5

「奴は光報聖省の坊主上がりなんだ。」

私は耳を疑った。
しかし、驚く私を意に介せず、バドンナル市長は続けた。

「詳しいことは奴に義理立てした手前省くが、ともかく、なんらかの“オハアム”絡みのやらかしで家族を亡くしたそうだ。それで聖会に嫌気がさして坊主を辞めたらしい。」

市長は一服すると、目線を下げてコリをほぐすように首をまわした。
彼女は後ろめたい時にはどうもコレをする癖があるらしい。
しばらくして息を吐くと、彼女は私の方を見据えた。

「奴は今回の件について詳しくは言わなかったからそこをほじくりかえすつもりもないが、準祭枝どのは、奴になんかオハアム絡みの隠し事をしてたんだろう? しかも命にかかわるようなやつをさ。
 前の件もおそらく似たような感じだったんだろうが、ま、古傷ってことだろうな。」

市長の声色は穏やかで、同情の色が感じられた。
組織のしがらみを理解している者同士の共感がそこにはあった。
だが、慰めにはならなかった。

私が黙ってうつむいていると、彼女はバツが悪そうにしながら黙って書類仕事に戻った。
しかし、それでも帰れとは言わないところに彼女の優しさが表れていた。
事務作業をしながら、目線は下向きそのままにぽつりぽつりと言葉が続いた。

「……まあ、奴も組織と個人が違うってことはきちんとわきまえられるヤツだ。
 これで絶交ってつもりはないだろうから、あいつの頭が冷えるまで待つんだな。
 仕事に同行するには、違ったやり方が必要かもしれんが。」

二人に謝りたいとこぼすと、それにはやんわりと釘を刺された。

「やめておけ。むしろ逆効果になる。
 お前さんの後ろに組織がある以上は徒労だろう。
 そうだな……別の形で遺跡に関わってりゃあ、イヤでも二人に接触する機会はできる。
 それで少しずつ信頼を回復していくしかないだろうな。」

案外その日も近いかもしれん、と言って市長はペンを走らすのを止めて私の方を見た。
眼が合った。
彼女の眼はいたずらっぽい横長になっている。
気が付くと、市長のゾウガメが私の横に来て、私の顔をじっと見上げていた。

「気持ちが落ち着き次第また来い。仕事はまだ終わってない。」

市長の方に視線を戻すと、彼女は人差し指で老人の遺品をとんとんと小突いた。
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No. 6

◆ググロ族小年代記より棟梁の系譜に関する記述を抜粋(フロンゾ教授が挟んだと思われるメモ)

 中略)偉大なる族祖「献納者ルシガン」は、後のサレーヴ諸部族同君連合国の初代皇帝、「誠実なるヒムヘルト」に美しい湖と豊かな森を寄進し、近習へと取り立てられた。
これが武門の誉れ高きググロ族の歴史の始まりであった。
のちに「献納者ルシガン」は「快活なジフリスク」をもうけた。
「快活なジフリスク」は「勇ましきアダ」と「カリレ」をもうけた。
「カリレ」は早逝した兄に代わり、又従兄妹である「堅硬のニガエ」との間に「継体のジロデ」をもうけた。
「継体のジロデ」は「年長のウヴァリ」をもうけた。
「年長のウヴァリ」は「ニァルコ」との間に「短躰のルシガン」、「ポートン」との間に「パデア」をもうけた。
「短躰のルシガン」は、かのタラチャガンの戦いで名高い。この戦によってタラチャガンはググロ族の封土となった。
彼は後に「パデア」との間に、北方動乱で武名を馳せた「悲哀のジフリスク」をもうけた。

中略)「首狩りニガエ」は、数多くの戦場で「悲哀のジフリスク」の曾孫に恥じぬ活躍をし、「岩穿ちのウヴァリ」をもうけた。
「岩穿ちのウヴァリ」――「小ウヴァリ」ともよばれる――は、ナンヤアドゥバンの戦いで、当地の領主であったマインネイル、「銅銹」のあだ名で知られたスハルコス・チュプルムを驚嘆すべきことに単騎で討ち取り、勝利をもたらした。
「岩穿ち」はこの活躍にちなむもので、この功績でナンヤアドゥバンはググロ族の封土となった。後に「岩穿ちのウヴァリ」は「矢の刺さったジフリスク」、「敬虔公ジロデ」、「重槌のポートン」をもうけた。

中略)偉大過ぎる父の跡をめぐる継承戦争の勝者となった「敬虔公ジロデ」が戦場の傷によりまもなく世を去ると、幼かった子の「ニガエ」が立ったが、2歳で早逝してしまったため、ググロ族内では再び争いが続いた。
その後、「重槌のポートン」の遺児で、ググロ族中興の祖と称揚される「血染めのアダ」が地位を継承した。
「血染めのアダ」は「峻烈公ルシガン」をもうけた。

中略)「峻烈公ルシガン」は「狂紳士ウヴァリ」をもうけた。
(「狂紳士ウヴァリ」の部分が乱雑な赤丸で囲まれている)
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